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誤解され一番危険な鳥と言われる『ヒクイドリ』、太古の森に住む彼らの真実は?

 TVやネットメディアで紹介されることが増えてきたヒクイドリ。その内容は最強や危険と悪目立ちする部分ばかりで、本当はどういう鳥なのか分かりづらく誤解されがちです。ヒクイドリの生態や、江戸時代の日本でも実は認知されていた意外な実態をご紹介します。

ヒクイドリはどんな鳥?

 ヒクイドリ属ヒクイドリ科の鳥で、インドネシア、ニューギニアやオーストラリア北部の熱帯地域や付属島に生息しており、和名は火を食べているような特徴的な外見から 「ヒクイドリ」と名付けられたと考えられており、英名では、パプア諸語の角を意味するKasuと頭を意味するWeriから派生し「Cassowary」と名付けられたと考えられています。

 外見はとても特徴的で、体長は約1.7m、体重は最大80kgと大きく、首から頭が鮮やかな青色、喉から垂れ下がった赤い肉垂、立派な角質状のトサカ、真っ黒な羽に覆われた胴体、恐竜のような脚、一度見たら見間違えることのないような強い特徴を有しています。

 ヒクイドリはダチョウやエミューと同じ走鳥類で、飛ぶために必要な胸骨の竜骨突起が無いので飛ぶことができません。ですが、空を飛べない代わりに足が発達したので地上を走るのを得意としています。

 食事は雑食で、主に果実を中心に行います。一般的な個体でも約50kg、最大で80kgと大型な鳥という事もあり、1日に必要な食事の量は5kgも必要で、大量の餌を探すのに1日に20kmも歩き回ると言われています。

ヒクイドリの持つ驚異的な身体能力

 ヒクイドリは空を飛べない鳥ではありますが、その代わりに脚が発達している鳥です。ひとたび走り出せば、凄まじい加速力によって、短時間でトップスピードの時速50kmに至り、ジャンプすれば地面から2m近く飛び跳ねることができるのです。

 自慢の脚力により繰り出されるキックと、ナイフのような10cmほどある鉤爪で、相手を攻撃することにより、致命傷を追わせることができます。威力については下の動画を見ると分かりやすいです。

 成体のヒクイドリは恵まれた身体能力により生息域に天敵はおらず、非常に強い鳥なのが伝わってきます。

 

危険な鳥と言われてしまう理由

 ヒクイドリの限定的な攻撃性にばかり注目が集まったことで、とにかく危険な生き物と風評被害を一部で受けている理由があります。それは、ギネスブックに2004年頃まで、「世界一危険な鳥」として登録されていたことです。

 ギネスブックに登録された以外にも、アメリカのフロリダ在住の75歳の男性が、飼育していたヒクイドリに襲われ死亡した事件がありました。しかし、その内容も不運が重なったから起こってしまったといえる内容であり、ヒクイドリが積極的に飼い主を襲い殺したかと言えばそういうわけではありません。

参考:CNNニュース

 1926年、16歳の少年フィリップ・マクリーンは弟と共に自宅の土地で見つけたヒクイドリを棍棒で殺そうとして返り討ちにあい、出血多量で死亡したと言う事件がありました。これに関してはヒクイドリの防衛本能のため言うことは特にありませんが…。

 ヒクイドリが人を殺したと記録されているのはこの2件の事件のみです。ただし、ヒクイドリに襲われて怪我をする事件は現在でも年に多数起きているので、安全かと言われると難しいです。

 本来は用心深く臆病な性格で、危険が迫らなければ気性があらくなることはありません。積極的に人に近寄ろうともしないヒクイドリがどうして人を傷つけてしまうのか、その理由は複数考えられますが、一番の理由は人が生息域(縄張り)に立ち入ってしまうことです。

 副次的な要因としては、人間の持つカメラにも強い興味を示すようで、下の動画では突然野生のヒクイドリに出会ってしまったときの緊張感がよく伝わってきます。動画を見ればわかりますが、人を見つけた瞬間に攻撃的になるのではなく、何をしているのか様子を探ってくるだけです。下手に刺激しなければ彼らも関心を持たず立ち去ってくれるのです。

 そうは言っても彼らは野生動物。人間では推し量ることの出来ない理由も存在するため、安易な気持ちで会いに行くのは彼らの能力を考えると危険と言えることだけは確かです。

自然界に必要な鳥

 最初の説明で、果実を中心として日に5kgほど食べ、餌を探すのに20kmも歩き回るとお伝えしましたが、このヒクイドリのライフワークが自然界にとって森林を維持するのに大きく貢献しています。

 ヒクイドリは果実を食べる際に丸呑みにして、傷ついていない果実の種をフンとして排泄します。これが餌を探しながら20kmも歩き回りフンをする習性と見事にマッチして、果実の種がフンと共に森林の至るところに種まきされます。この習性のおかげで森林に種がまかれ、新たな木が育っていく環境のサイクルができているのです。

ヒクイドリの家事と子育てはオスが主体!

 ヒクイドリはメスがオスに求愛して、つがいになる珍しい鳥です。求婚に失敗したメスは縄張り意識からなのか、失恋した負の感情なのかは分かりませんが、自分をフったオスを追いかけ回し攻撃的になる一面があります。人間の男女でもありそうな行動を取る面白い鳥ですね(笑)

 無事につがいになれたヒクイドリは、オスが卵を安全に孵化させるための巣を作り始めます。卵が135×95mmと大きく、一回で3個~4個は生んで温めるので、巣も1mほどの大きなものを作ります。

 そして、卵を生み終わったメスは卵をオスに託して、別のオスを探しに立ち去ってしまうのです。一方で卵を託されたオスは2ヶ月間ほぼ飲まず食わずで卵を抱卵しつづけ、一生懸命に時が来るのを耐え忍びます。

 無事に誕生したひな鳥を、ひな鳥の天敵であるオオトカゲから守りながら大きくなるまで父子家庭で面倒を見続けてくれる偉大なイクメンバードなのです。

江戸時代の日本にヒクイドリ!?

薩摩鳥譜図巻に記されるヒクイドリ

 「薩摩鳥譜図巻 完」1巻には色鮮やかな美しい鳥たちが描かれていて、日本を含めた世界中のめずらしい鳥を取り上げています。意外なことに江戸時代に作られた鳥のアートブックである薩摩鳥譜図巻の中には、ヒクイドリも描かれているのです。

 実際に絵の側には「駝鳥(ダチョウ)」と書かれており、笑いを誘いますが、何もおかしなことではありません。江戸時代の日本ではヒクイドリはダチョウとして扱われていたのです。

 国立国会図書館には、

 「陀鳥」と書かれているのは駝鳥のことを指しますが、江戸時代に「駝鳥」と呼ばれたのは今で言うダチョウではなく、ヒクイドリ (火食鳥) でした。ヒクイドリは寛永12年 (1635) に平戸藩主が幕府に献上した記録がもっとも古く、以後オランダ船によって数多く持ち込まれ、見世物にもなりました。原産地はオーストラリア、ニューギニアです。本書は珍鳥ばかり80品を収録しています。なお、本物のダチョウの渡来は万治元年 (1658) の記録があるだけで、その個体は献上後まもなく江戸城内で死んでしまいました。

引用元:国立国会図書館

と記されていて、ヒクイドリは今で言うダチョウよりも20年ほど早く渡来していたことになります。しばらくは同じ鳥として扱われていたのか、1658年に本物のダチョウが来て名前が変異していったことが推し量れます。

見世物になったヒクイドリ

 江戸時代、徳川幕府は鎖国を行っていましたが、一部の場所で限られた国とは貿易を行っていました。その場所は、長崎の出島と言われる場所で、交易のお相手はオランダでした。オランダは日本に定期的に来航し、様々な品を運んできたのですが、その品の中には生き物もいたのです。

 1789年(寛政7年)の7月にオランダから運ばれてきた珍しい生き物に目をつけたのが、縁日やお祭りなど人出の多い所で、見世物などを興行し、品物を売る「香具師」と言われる人々でした。彼らはオランダからヒクイドリを仕入れて、日本各地の寺社などで見世物として人々に披露して商いを行ったのです。

 その時に発行されたかわら版「駝鳥之図」には、

 阿蘭陀国ニ而ハ 加豆和留と云 和名駝鳥或ハ 火くひ鳥と呼ぶ 和漢無比の奇鳥なり

 参考元:Yahooニュース

簡単に言えば、オランダから来たこの鳥は、日本では「ダチョウ」あるいは「ヒクイドリ」と呼ばれる鳥で、「和漢無比の奇鳥なり」つまりは日本にも中国にもいないような珍しい変わった鳥と売り出していたようです。

 この「駝鳥之図」には、見世物として盛り上がるように、正確な情報の他に”嘘”も多く盛り込まれていました。嘘の中には普段は米や麦を食べるけど、たまに鉄や石、火炭まで食べるから「火喰鳥」と言うような具合の嘘情報を混ぜていたのです。最初はダチョウとして扱われていたこの鳥が、和名でヒクイドリと呼ばれるようになった要因なのでしょう。

日本の動物園でも出会えるヒクイドリ

 ヒクイドリは江戸時代から日本に来ていただけあり、現在でも日本の動物園で見ることができるので、生で見たい方は動物園に会いに行ってください。実物のヒクイドリも色鮮やかで綺麗で、恐竜の様な重厚な足を見ているとわくわくしますよ!

日本動物園水族館協会のHPより飼育園を確認。詳細は各動物園HPで確認してください

この記事を書いた段階での情報のため、動物園に見に行く際には必ずホームページで確認しましょう。